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表現すると、脳が育つらしい。

勉強が嫌い。

一度覚えたことをすぐ忘れて、忘れないようにするまでに、たくさん同じことを繰り返して覚えていく。

とても地道で時間がかかる。

それでも、遊んだことはちゃんと覚えている。これは、遊びが体で体験したものだかららしい。これをエピソード記憶と言い、一度経験するだけで覚えられる。

エピソード記憶は、目、鼻、耳、口、手などの五感で体感して覚える記憶のことである。感じたことを直接覚えるので、記憶に残りやすい。

一方で、勉強で覚えるものは意味記憶と言い、五感を利用して他のものを覚えるもので、感じた後に頭で考えて理解をするので記憶には残りにくいのだと思う。

意味記憶は、モヤモヤとしたもので、記憶したつもりでも実は覚えてないことも多い。そのまま時間が経って、いつのまに忘れてしまっていることも多い。

これを改善するために、(表現すること)がとても良いらしい。

表現することとは、絵を描いたり、文章を書いたり、グループでディスカッションしたりすることだ。

表現することで、頭の中にあるモヤモヤした知識がつながったり、整理されて、知恵として定着するのだ。

表現は、『人間らしさ』でもある。

似たような知能の高いチンパンジー。彼らも絵を描くらしい。でも、少し違う。チンパンジーと6歳の子に、顔を描いていない、輪郭だけを描いたチンパンジーの絵を渡すと、大きく違いがあらわれるらしい。チンパンジーは輪郭をなぞっていくだけである。しかし、6歳の子は、チンパンジーに顔を書いていく。これは、人が目の前にないものについて考えられる知能があるからだ。チンパンジーのような知能の高い動物でも出来ないことが、目の前にないものについて考えることだ。

人と人との会話でもそうだ。目の前にない話題を共有して楽しめる。

これは、人々が言語を扱えることが理由らしい。

『ことば』があるから、目の前にないものを覚えていられる。『名前』があるから、人のことを覚えていられる。『思い出』をずっと大切に覚えていられる。

忘れたいこともあるかもしれないけど、『ことば』があるから、大切なものを覚えていられるんだ。

そうやって、たくさんのものを頭に詰め込んできたから、絵が描けるらしい。

他の表現もそうだ。『ことば』があったから、目の前にないものを創り上げることが出来るのだ。

だから、表現することは人間らしさ。

自分の今までの思い出や、個性の違いで、描くもの、書くもの、話すものが違ってくる。

絵や文章などの表現で、『自分らしさ』を表現できるのだと思う。

しかも、表現することで、頭が整理されたり、自分が何を考えていたか分かったり、実は表現するまでは分からないものもある。あの人にイライラして許せなくなっているとき、文章を書いたら、そんなにイライラすることでもなかったなって思ったりもする。表現することで、自分を客観視することだってできる。

つまりは、表現している自分とは、自分を助けてくれるもう1人の自分であるのだ。

表現すると、いろんな人々がその作品を見てくれるかもしれない。称賛してくれるかもしれないし、批判してくれるかもしれない。その評価を聞いて、改善をして、次はこうしようと思って、つぎの行動につながるのだ。

実は自分では気づいていない『もう1人の自分』がいる。彼らは自分の中にいる表現者だ。彼らと切磋琢磨して、共に成長していこう。

そして、未来は全く違うものになるのかもしれない。何かを表現する最初の一歩で、世界を大きく広げられる可能性がある。この希望に期待を込めて、未来を切り拓こう。

※一部おやっと思うところがあるかもしれませんが、あくまでも個人的な解釈です。芸術家は、自分の中にいるもう1人の自分との時間を過ごし、その人と寄り添い、その人のことを深く知りたいと思い、その人と対話しているのだと思っています。外の世界でなく、内側の世界にも、未知の世界がひろがっているんだと思います。世界を知るよりも、自分を知りたい。そう思って、もう1人の自分と切磋琢磨していくことを選んだのだと思います。芸術家の方々が魅力的なのは、そうやって自分を磨いてきたからだと、僕は思いました。

絵や文や歌の上手さ(技術面)を磨くことが大事なのではなく、絵や文や歌の表現をして、自分を知ったり、自分らしさを表現していく方が大事だと思います。僕は、後者が優れている人の方が魅力的だと思います。

駅前で路上ライブをしている人の中に、この人はテレビでは歌うことは、きっとないのかもしれないなって思う人がいます。でも、その人はとても魅力的で、その人の音楽が好きで、その人が好きになりました。

今の世の中は、作詞作曲をする表現者と、歌う技術者が役割分担しているようですね。

僕は、作詞作曲しないで歌っている歌手について、最初は否定的でした。自分で曲作って歌って欲しいなって思っていました。

でも、文章を書く事で、表現者と技術者が役割分担しているやり方は、素晴らしい表現方法だって思うようになりました。その理由は単純に、否定的な理由が弱かったからです。単なる感情的な理由だったらしく、文章を書いて客観視したら、大した理由でもなかったです。強烈的な反論が見つかったわけではないのです。これは、言葉で具体的には伝わらなそうです。ですので、表現を実際に試してみてください。

音楽は役割分担が出来ますが、絵画は役割分担が出来るのかというと、僕の知っている限りでは無理ですね。大まかなイメージを言葉で伝えることは出来ると思いますが、本当にイメージしているものは、その人本人にしか分かりません。反論があれば、教えて欲しいです。

文章も、絵画と同じく、表現するまでの間にイメージしているものは、本人にしか分からないと思います。しかし、思ったらすぐに表現が出来ます。内容によりますが、一番簡単な表現ツールだと思います。

絵や文や歌で表現をすることで、自分には見えなかった世界が見えてくると思います。芸術家がひたむきに頑張っている様子を見ても気づかなかったことが、表現をする事で見えてきます。表現することのおもしろさとは、やって見なきゃ分からないものです。表現することとは、五感では感じられない唯一の楽しみだと、僕は思います。今までは味わえなかった楽しみを、きっと体験することが出来るでしょう。

とても長くなりましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。きっと、これからも長くなりますが、よろしくお願いいたします。